幸せの思想史

アリストテレスからマッキンタイアへ:現代美徳倫理学におけるエウダイモニア概念の探求

Tags: 美徳倫理学, エウダイモニア, アリストテレス, マッキンタイア, 現代哲学

はじめに:現代倫理学における美徳倫理学の復権

倫理学史において、人間の幸福や「良い生(good life)」の探求は常に中心的なテーマの一つでありました。特に古代ギリシャ哲学においては、この問いに対する応答として、個人の内的な状態や行為だけでなく、その人物の性格や生き方全体に焦点を当てる美徳倫理学が重要な位置を占めていました。しかし、近代以降、倫理学の主流は行為の規則や結果に重きを置く義務論や功利主義へと移行し、美徳倫理学はその影響力を低下させていきます。

20世紀後半、G.E.M.アンスコムによる画期的な論文「Modern Moral Philosophy」(1958年)を契機として、美徳倫理学は現代倫理学において再び活発な議論の対象となりました。アンスコムは、義務や権利といった概念が、それを支える宗教的・法的基盤を失った現代社会においてその意味を問い直されるべきであると主張し、人間の心理学に基づいた美徳の概念を倫理学の基礎とすることを提案しました。このアンスコムの問題提起に応答する形で、多くの哲学者が美徳倫理学の可能性を探求し始め、その中でも特にアラスデア・マッキンタイアの貢献は多大なものがあります。

本稿では、美徳倫理学が復権する中で、その核心にあるアリストテレス以来の「エウダイモニア(eudaimonia)」概念がどのように継承され、そして現代的な文脈でどのように展開・再解釈されているのかを探求することを目的とします。特に、アリストテレス哲学におけるエウダイモニア概念を再確認し、それがマッキンタイアをはじめとする現代美徳倫理学においてどのように捉えられているのかを比較考察することで、現代における幸福論の一つの重要な潮流を明らかにしたいと考えます。

アリストテレスにおけるエウダイモニア概念

アリストテレスの倫理学、特に『ニコマコス倫理学』の中心には、人間の究極の目的、すなわち最高善としてのエウダイモニア概念があります。エウダイモニアはしばしば「幸福」と訳されますが、単なる快楽や主観的な満足状態ではなく、人間にとって最も良く、最も完成された活動状態、あるいは「良く生き、良く行為すること」を指します。これは、植物が成長し、動物が感覚を持つように、人間が人間として持つ固有の機能(エルゴン)を十全に発揮することに関連づけられます。人間固有の機能とは理性的な活動であり、したがってエウダイモニアは理性の十全な活動、特に美徳(アレテー)に従った魂の活動として定義されます。

アリストテレスによれば、美徳は単なる生得的な能力ではなく、実践と習慣によって獲得される性格特性です。それは過不足の中庸(メソテース)にあり、正しい判断に基づいて行動するための Disposition(性向)を指します。エウダイモニアは、こうした美徳に従った活動が「一生を通じて」持続されることによって達成される、活動としての幸福です。また、アリストテレスは、エウダイモニアの達成には友人、富、健康、良い家柄といった外的な善もある程度必要であると指摘しており、これは主観的な精神状態のみに還元されない、客観的な生のあり方としてのエウダイモニアを強調するものといえます。

アリストテレスのエウダイモニア概念は、個人の内的な状態だけでなく、その人物が共同体の中でどのような役割を果たし、どのような行為を行うかといった実践的な側面と強く結びついています。それは、単に感じるものではなく、生きることであり、その人の生全体の質やあり方を評価する概念です。この点が、後の主観的な幸福論や、特定の行為の正しさに焦点を当てる倫理学とは異なる、美徳倫理学的なアプローチの根幹をなしています。

現代美徳倫理学におけるエウダイモニアの継承と展開:マッキンタイアを中心に

アンスコムの問題提起を受けて復権した現代美徳倫理学は、アリストテレスのエウダイモニア概念を重要な資源としながらも、現代社会の文脈に合わせてそれを再解釈・展開しています。特にアラスデア・マッキンタイアは、『美徳なき時代』(After Virtue, 1981年)において、現代社会が道徳的な共通理解を失った「断片化された」状態にあることを批判し、アリストテレス的美徳論に基づく倫理学の復権を試みました。

マッキンタイアは、美徳を「実践(practice)」という概念を通して定義します。実践とは、チェスや音楽演奏のように、ある種の内部財(internal goods)を達成するために協力的な人間の活動であり、これらの内部財は、その活動の基準や卓越性(excellence)を追求することによってのみ得られます。美徳とは、まさにこれらの内部財を獲得し、実践を維持するために必要な性向です。例えば、チェスにおいては、誠実さや粘り強さといった美徳が、単に勝つという外部財だけでなく、戦略的な思考力の向上といった内部財を得るために不可欠となります。

マッキンタイアにとって、個人の生における美徳の実践は、単に孤立した活動の集合ではありません。それは「ナラティブ(narrative)」、すなわち個人の生全体を貫く物語性の中で理解されます。個人の生は、様々な実践や出来事、他者との関わりが織りなす一つの物語であり、その物語の中で美徳は自己理解や目的の探求と結びつきます。さらに、この個人の物語は、特定の歴史的、社会的な「伝統(tradition)」の中に位置づけられます。伝統とは、過去から現在へと受け継がれる議論や実践の生きた歴史であり、その伝統の中で形成される共同体において、個人の目的や美徳の意味が与えられます。

マッキンタイアは、アリストテレス的なエウダイモニアを、こうした実践、ナラティブ、伝統によって構成される生の全体性の中で捉え直します。彼の議論における「良い生(good life)」は、アリストテレスのエウダイモニアに対応するものと見なすことができます。それは単に個人の主観的な幸福感ではなく、特定の伝統や共同体の中で共有される価値観に基づき、美徳を実践しながら自己の生を物語として統一的に理解し、その目的を追求していく営み全体の質を指します。

この点で、マッキンタイアはアリストテレスのエウダイモニア概念の核である「十全な生」や「美徳による活動」という要素を継承しています。しかし同時に、彼はアリストテレスが前提としたポリスのような均質的な共同体が失われた現代において、エウダイモニアを理解するためには、多様な実践、個人の物語性、そして複数存在する伝統といった、より複雑な社会構造を考慮に入れる必要があることを示唆しています。これは、アリストテレスのエウダイモニア概念を現代の文脈に合わせて展開した重要な点といえるでしょう。

現代美徳倫理学におけるエウダイモニア概念の論点と展望

マッキンタイア以降も、美徳倫理学の研究は進展しており、エウダイモニア概念に関しても様々な論点が提示されています。例えば、ロザリンド・ハーストハウスは、行為の正しさを美徳ある人物が行う行為として定義することで、美徳概念を現代的な規範倫理学に応用する試みを行っています。彼女は、美徳ある人物はエウダイモンな生を送るというアリストテレスの主張を前提としつつ、具体的な道徳的判断の指針として美徳概念が機能することを示そうとしています。

また、現代美徳倫理学は、心理学や認知科学における美徳や性格の研究との連携も模索しています。エウダイモニアを単なる哲学的概念としてだけでなく、人間のwell-beingや Flourishing(繁栄)といった概念との関連で理解しようとする試みも見られます。この点については、マーサ・ヌスバウムが、アリストテレス的美徳論と人間の潜在能力(capabilities)アプローチを結びつけ、人間の尊厳や幸福を普遍的な観点から捉えようとしています。

一方で、現代美徳倫理学に対しては、美徳の定義や文化的な相対性、あるいは美徳が常に幸福に繋がるのかといった問いが向けられることもあります。特定の共同体や伝統に依拠する議論が、普遍的な倫理規範の探求とどのように両立するのか、あるいは多様な価値観が並存する現代社会において、共通の「良い生」の概念をどこまで追求できるのかといった問題も議論されています。これらの論点は、現代におけるエウダイモニア概念の探求が、単に過去の思想を継承するだけでなく、現代社会の複雑な課題に応答しようとする試みであることを示しています。

結論

本稿では、アリストテレス哲学におけるエウダイモニア概念を確認し、それが現代美徳倫理学、特にアラスデア・マッキンタイアの哲学においてどのように継承・展開されているのかを考察しました。アリストテレスが理性の活動と美徳の実践に基礎を置いたエウダイモニアは、単なる主観的な幸福感ではなく、客観的な生のあり方としての「良い生」を指すものでした。

現代美徳倫理学は、アンスコムの問題提起を経て復権し、マッキンタイアは実践、ナラティブ、伝統といった概念を通して、アリストテレス的なエウダイモニア、すなわち「良い生」を現代社会の文脈で再構築しました。これは、アリストテレスが重視した美徳による活動という要素を継承しつつも、現代社会の多様性や複雑性を考慮に入れた重要な展開といえます。

現代におけるエウダイモニア概念の探求は、倫理学だけでなく、政治哲学、心理学、社会学といった多様な分野と交錯しながら進んでいます。それは、現代社会に生きる人々が、自身の生をいかに良く生きるか、いかに意味あるものとするかという根源的な問いに対する、哲学からの重要な応答の一つであるといえるでしょう。現代美徳倫理学におけるエウダイモニア概念の研究は、今後も私たちの幸福観や倫理観に深い示唆を与え続けると考えられます。